【宮城県図書館】
 〔遠田郡桃生郡境塚圖〕

資料分類
図書館古典籍類所蔵資料目録
タイトル
〔遠田郡桃生郡境塚圖〕
タイトル(ヨミ)
トオダグン モノウグン サカイツカズ
別タイトル
〔郡境取替絵図〕 〔遠田郡桃生郡境〕
統一タイトル
遠田郡桃生郡境塚図
責任表示
 
著者名
 
出版事項
写本(彩色) 元禄13
法量
121×166cm
数量
1舖
注記
涌谷亘理家旧蔵
別タイトル注記
 
内容注記
 
印記注記
 
出版年注記
1700
解説
遠田郡と桃生郡の境論と元禄度国絵図の関係については,佐藤宏一『仙台領国絵図覚書』(東北歴史資料館紀要3 昭和52所収)に詳しいので引用する。「元禄10年10月段階で,領内の郡境論所は14箇所に達している。元禄度国絵図の作製に際して,郡境を筋引きするためには,これらの論所を解決する必要があった。寛文7年,伊達安芸知行所の遠田郡二郷村,木問塚村と伊達式部知行所の桃生郡深谷大窪村,北村,福田村との問に郡境をめぐる争論がおこった。このときは伊達安芸に不利な条件で処断されたが,この事件はのちに寛文事件の伏線のひとつになったことで有名である。ところが,元禄度国絵図を作製するために,当時伊達兵部,田村隠岐の処置で決定した郡境を,この度幕府より借用して作製した正保度国絵図写のうえに再検討すると,かなりの相違点が存在することがわかった。(略)先年争論の際に安芸,式部双方が証拠として提出した書出絵図などを照合しながら再調査をすすめると,当時不利な裁決を受けた側,つまり伊達安芸の主張こそが正保度国絵図記載の郡境界と一致していることが明らかになった。(略)このため,遠田,桃生両郡の境界は正保度国絵図にしたがって訂正し,この度の国絵図もその通りに郡境界を筋引きすることとなった。ところで,肯山公治家記録による限りでは(略),論所の谷地新田はすでに検地帳に深谷分と記載されていたのであった。検地帳はいうまでもなく藩政の基本台帳である。その記載事項を自ら否定し,正保度国絵図控があればこの谷地争論はなかった。正保度国絵図どうりに郡境界を訂正するというのであるから,国絵図とは,現実の藩政のなかで機能している郡境や検地帳をも否定することも可能な,優位にある権威であったのである。幕府の統制権は,国絵図の作製事業を通じて,大名領内の郡境界の具体的な設定にまで及んでいたことを知るべきである」この絵図は,正保度国絵図にしたがって郡境を定め直したとおりの境界に115の塚を立てて,関係する郡村が確認し合ったことを示している。絵図上に塚を立てその位置を一つ一つ記し,表書には各村の組頭,肝入の名前が記入され,互いに塚の位置を認め合ったことが記されている。なお,表書に「正保二年公義江指上候御絵図」とか「正保二年御絵図」という文言がある。これは明らかに正保度国絵図を指していると思われるが,これらの文言はその成立が正保2年(1645)であることを示している。
国総目分類
絵図
コレクション
一般古書
冊子体目録
M:『宮城県図書和古書目録』2200
E:『宮城県図書館所蔵絵図・地図解説目録』48
請求記号
KM294/ト1
台帳番号
管理記号:重陸/絵49
代替資料の有無
無し
文献ID
61136
アイコンまたはHキーの押下で、ナビゲーションウインドウ表示/非表示を切り替えます

宮城県図書館

〒981-3205 宮城県仙台市泉区紫山1-1-1 TEL:022-377-8441(代表) FAX:022-377-8484  このメールアドレスはスパムボットから保護されています。閲覧するにはJavaScriptを有効にする必要があります。